パラグアイが大好きになる理由:パラグアイと日本をお茶文化から考える

みなさま こんにちは。

研究室の学生さんたちとパラグアイに渡航しはじめて5年目になりました。前任大学もいれるともう少し長くなります。

最初に学生さんをパラグアイにお連れする時は正直不安でした。パラグアイは、私にとっては青年海外協力隊隊員として2年3ヶ月暮らした第二の故郷であり、家族もいるし、お友達もたくさんいる。スペイン語もできるし、グアラニー語のまだ多少は話せる。地域研究者として毎年パラグアイに「帰省」しているので「居場所」がある。一方、学生さんにとってはどうなのだろう、楽しんでもらえるのかな、国際協力の「きらきら」したものに憧れ遠い!パラグアイまで来たものの、いざ現場に入ると理想と現実のギャップで落胆するのではないかな、親御さんは不安だろうな、など色々な思いが巡りました。

ところが、パラグアイに渡航した第1期生からリピーター率がとても高く、2回連続して渡航するメンバーも2~3割はいました。そしてパラグアイが大好きになり、大学を休学し現地に向かう学生もおりました。NPO法人のインターンで渡航するメンバーが多かったです。2年連続大学のプログラムでパラグアイに行き、ますますパラグアイが大好きになり、青年海外協力隊短期派遣(家政・生活改善)に応募した学生さんもいます。その方はOくんといいますが、なんと!5月3日に合格通知を受け取りました。青年海外協力隊短期派遣の訓練が終われば、晴れて協力隊員として6月下旬より9ヶ月間、パラグアイの首都アスンシオンで活動します。活動内容は経済的に困窮している方々への「健康で豊かな生活プログラム(programa de Vida Sana y Vida Saldable)」と通じた支援活動です。

ところで、私も含めパラグアイに関わった多くのみなさま、そして研究室の学生たちはなぜ??パラグアイにこんなに惹かれるのでしょうか?理由は複数あると思います。パラグアイの方々の他者を思いやる優しさ、農村の牧歌的な風景と温かい人々の暮らし(経済的には困難な方も多いです)、日系の方たちとの深い絆、日本人が高度経済成長の時期に忘れ去ってしまった何か大切なもの・・・などがパラグアイにはたくさん残っているからだと思います。もちろん、真っ青な空と美しい緑、テラロッサといわれる赤土、それらのコントラストは何度見ても感動します。そして、朝に昼と仕事中に飲むテレレ(冬はマテ茶)やおやつのときに家族で飲むコシード(マテ茶を砂糖で炒って作る甘い飲み物)は、なんとなく、日本のお茶の時間を思わせ、ゆったりとした気持ちになれます。

(パラグアイのマテ茶についてはこちらの論文にまとめていますので良かったらご覧ください。藤掛洋子(2007)「パラグアイのマテ茶文化と薬草文化と女性たち」、東京家政学院生活文化博物館年報(17), pp.59-70

日本でもお茶でおもてなしをする文化があります。お茶を飲むことでほっとしたり、仕事ではできない話をしたりするので、お茶の時間は短くとも大切な時間であると考えます。パラグアイの私の家族(コロネル・オビエド在住)は、道や木陰に「なまけ椅子」(と隊員たちは呼んでいる)といわれる、とてもリラックスできる椅子をいくつも並べて、のんびりとテレレやマテ茶を回し飲みします。農村でも朝5時ぐらいからお湯を沸かして、地面に木の椅子を置き、マテ茶やテレレを飲みます。昼食の前にはマンゴの木の下になまけ椅子を並べてテレレを飲みます。おしゃべりに講じるときもあれば、何も話さないで静かにマテ茶やテレレを飲むときもあります。何も話さない静けさも普通です。会話が途切れることをAngel pasa(天使が通った)、といって静けさに対する捉え方もポジティブです。こんなゆったりとした時間が、分刻みでやることに追われる日本人にとって至福の時間であるのかもしれません。

パラグアイは経済成長著しく、首都アスンシオンの方々がこのようにゆったりとテレレやマテ茶を飲む時間は以前よりも減っているかもしれません。それでもお茶を通して人と人がつながる文化には日本人が茶の湯の文化から受け継いできた何かしらの共通点があるのかもしれません。

なぜ学生たちがパラグアイにこんなに惹かれるのか、いつか色々と考えてみたいと思います。今日はテレレ(マテ茶)と日本の茶の湯文化(おもてなし)文化からちょっぴりと考えてみました。茶の湯を研究している先生方から教えを乞いたいです。

現地でNGOインターとしてがんばっているKさん、テレレやマテ茶を飲んでパラグアイでの活動がんばってくださいね。Oくん、青年海外協力隊(短期)合格おめでとうございます。応援しています。

2017年5月5日 藤掛洋子