スペイン・マドリッドにおける調査

*スペインにおける国際協力に関する調査*

2008年8月5日~11日までスペインにおいて、同国がどのような国際協力を展開しているのか調査をしている。調査内容は、公式な報告書を作成するが、ここでは調査に関わるこぼれ話を少し書いて見ようと思う。

ここ十数年は中南米での調査が多かったため、スペインに来るのは十数年振りとなる。久しぶりということもあり、少しドキドキしたが、ロンドン・ヒースロー空港に到着し、第二ターミナルに移動したあたりから、ラテンの香りが漂ってきた。英語圏にいるはずが、周りはほとんどスペイン語。それも、スペインのスペイン語のみならず、どう聞いても中南米のスペイン語であろうと思われるアクセントでお話になる方も多い。様相も、雰囲気も明らかに中南米の方ではないかしら、と思われる方もおられ、ふるさとに帰ったような安堵した気持ちになる。

2008年はじめに出たPuerta del Sol(スペイン語の雑誌)に、好景気に沸いたスペインに中南米から正規・非正規の労働者が多く移動してきた、記事があり、そのことも背景にあるのだろうと空港事情が飲み込めた。確かに、私のフィールドであり、ふるさとでもあるパラグアイの人々は、以前はアルゼンチンや米国に「出稼ぎ」にでていたが、ここ数年は多くの人々(特に若い女性)がスペインに行くと言っていた。言語も通じるので、米国に行くよりも垣根が低い、という。

マドリッドに中南米の人が多くいるように感じるのが理由なのか、マドリッドに到着し、調査をはじめても、ここは南米では?と錯覚してしまう自分がいる。使用する通貨はユーロであるが、感覚は南米、なんとも不思議である。同時に、スペイン人が中南米の国々を植民地とし、町を築き上げた歴史を考える。マドリッドの町並みと、パラグアイの首都アスンシオンのプラサやペルーのパラシオなどにいくつもの共通点があり、自分自身がどこにいるのかわからなくなってしまう。十数年前にスペインに滞在した時には感じなかった感覚でもある。

さて、第一日目は、外務省技術協力機関に行き、2名の担当者に面談、その後、付属施設である資料館へ。調べていてこの国の国際協力が、技術協力といわれている部分も、異文化交流・理解を進めることに重点を置いていることがわかってきた。また、外国人のlectorados(カトリックの読師)を育てるプログラムもある。スペインの文化や宗教を国外に広めるプログラムが外務省の中にあるのである。これは、宗主国であったスペインの歴史観、そして宗教の点などから、国際協力プログラムを紐解くことが重要なのではないだろうかと再確認した点である。

また、国際協力事業の中で特に力を入れているのが、BECA(奨学金)制度である。スペイン国内の学生を海外にbecario/becariaとして送り、「異文化交流」、「国際協力」を行うそうである。また、「途上国」の学生たちをスペインの大学に受けれいている。これも、宗主国と植民地との関係から読み解く必要があるだろう。

国際協力事業は地域割りになっており、課題別には細かく分かれていない(2007年10月の組織図)。これも、国際協力の重要なポイントを「異文化交流」と位置づけているならば、うなづけるような気がする。

日本の国際協力にも色々な意味づけがあるだろうし、様々な解釈もできるだろう。スペインの国際協力も歴史的文脈、宗教との関係を理解することが重要であるように考える。

2008年8月7日 4時 スペイン時間 ホテル アロサにて 藤掛洋子

後半はイギリスでの乗り換え時に

マドリッド日記後半

以前のマドリッドと何か違うと感じたがその理由がよくわかることがいくつかあった。1992年のバルセロナオリンピックと国際博覧会を堺に、スペイン政府は国際社会の仲間入りを果たしたということ。OECD・DACに加盟し、ODAへの拠出金が代10位前後を推移している。

次に、1996年以降の建設ラッシュによる移民受け入れと、2002年にユーロへの加盟である。

建設現場やサービス業には中南米からの人々を受け入れ、農業や牧畜業にはマグレブ諸国やアフリカ、旧東欧からの出稼ぎ労働者を受け入れているという。このような移民の方たちに対し、政府は2002年と200X年に、永住権を与えたという。この行為に対し、他のEU諸国からは大きな反発があったという。なぜならば、スペインの永住権を獲得したということは、EU諸国に自由に行き来できることになるという理由からである。正規の労働ビザではないが、非正規でも多くの人々がスペインにはやってきているという。ぶどうの収穫期には、バスで数日かけて旧東欧から人々がやってくる。

以上のことから、マドリッドの街中にはアフリカ系に人々、中南米の人々が多く見受けられ、昔のマドリッドとは何か違う雰囲気をかもし出しているのであった。私の最後のスペイン滞在は、バルセロナオリンピック以前であるから、その違いがよくわかるものであった。

今年に入り、石油の高騰、建設景気のかげりから、スペインの経済状況はかなり深刻であるという。出稼ぎ労働者たちは、仕送りが出来ないことから、本国に帰りつつあるという。

出国の時、明け方4時であるにも関わらず、イベリア航空の地上職員は笑顔で私のチケットの変更に応じてくれた。機会のトラブルに見舞われ、時間がかかったものの、最高の笑顔で、「もうすく手続きが終わるから、待っててね、Vale!Vale!(OK)」を連発。以前から、スペイン人の暖かさは感じていたが、ここまで親切だったとは。

スペインに留学した経験のある友人からは、様々な手続きに時間がかかり、スペインはもう嫌だなどど聞くこともあるが、今回の調査では、どこの官庁もNGOオフィスの職員も丁寧に対応して下さり、最後まで笑顔で見送ってくれたりした。

これもEU統合のせいなのか、国際社会への仲間入りをしたためなのか・・・。それとも、私が多少、スペイン語を話すためのなか・・・。フィギィアスケートの荒川静香さんが金メダルと取ったせいか。はたまた、日本の国際社会に対するプレゼンスが高まったせいか?

様々な要因が重なっていると思うが、これまで長きにわたり中南米と関わりを持たせて頂いたことから、欧州への行き来が以前よりもずいぶん減ったために、逆に感じることができなかった社会変化の側面を体感することができた。世界が動いていることを実感することができたスペイン調査であった。

調査内容は、報告書をご覧くださいませ。

2008年8月 イギリスの空港にて